社交性と引き換えに失うものについて

こんにちは。

倉持建設工業、東京オフィスの山﨑です。


長かった4連休も終わり、今日から仕事ですね。

まぁ、コロナのせいで連休と言ってもどこもいけなかったので、娘と一緒に不忍池に行く毎日でした。

#別にコロナじゃなくてもそこばっかり行ってる


さて、昨日の夜母親から電話がありました。僕の小学校か、中学校の同級生にご不幸があったそうです。故人のご冥福をお祈りします。しかしながら問題なのですが、その方のことがまったく思い出せません。

いや、他意はまったくないのですが、田舎から出てきて21年(!?)、当時の人間関係はもうほとんど記憶がありません。

出生地でそのまま仕事をしている方などは、人間関係が保存されているのだと思うのですが、たまに田舎に帰って親しげに話しかけられても、まったく覚えてないというのはよくあります。

(あ、あの、あれだよね。あの、ねぇ、懐かしいねぇとか言ってやり過ごす僕)


ダンバー数というのがあります。去年流行ったユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』を、ミーハーだから読んだのですが、

#ひどいミーハー

#それにしてもすごいのは、この語源がみいちゃん・はあちゃんと言うこと

そこに出てきた概念で、人類を研究すると、だいたい150人くらいの集団を作るのがいっぱいいっぱいで、それ以上になると、国、とか、宗教、みたいな、みんなが帰属するお話みたいのを作らないと大きくなれない、という話です。この150人くらい、というのを言い出したダンバーさんに因んで、ダンバー数と言います。

ダンバーさん曰く、「バーで突然居合わせても、きまずくならない関係性の知人の数の限界」を表す数字だそうです。酒飲みっぽいですね、ダンバーさん。

#気が合いそう

たぶん、昔はこれでよかったのでしょうが、現代人が知り合う人の数と言ったらとても150人ではきかないと思います。今、スマホの電話帳を見てみたのですが、名刺交換した人だけでも1135件、その他の知り合いだけでも242件あります。社会人を10年もやってると、これだけ知り合いが増えるものですね。

#本当は17年

#なぜかサバを読んだ


しかしこうなってくると、普段あまり交流のない地元の方などは、どうしても記憶から抜けていきます。ちなみに実の弟とも僕の結婚式以来あってないので、たまに本当に僕に弟がいたのかどうか不安になります。

#Facebook見ると安心する


僕にとっては、地元の同級生よりも、娘の同級生との方が接触回数が多いくらいなので、まぁ、こうなるのも仕方ないのかなとか思います。

#今日も一緒に登校した


なので、社交性と引き換えに失うものとしては、そもそも失ったことさえ思い出せないこと、でしょうか?


東京オフィスからは以上です。

仕事しまーす。

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