その努力はいずれ必ず花開く

こんにちは。
倉持建設工業、東京オフィスの山崎です。

山崎さんは何で英語できるんですか?と聞かれることがあるんですが、これがよくわかりません。ただ、昨日ふと夢に見たことがあって、忘れないうちに書いておきたいと思います。


小学校の頃から英語の塾に行っていました。
塾と行っても、アメリカ人の先生が、40人くらいの子どもたちに英単語を教えるような感じで、先生がそもそも日本語の研究者だったので日本語が小学生よりもはるかに上手で、英会話、はしてなかったですね。
英語の簡単な歌を習ったり、アルファベットを読んだり、簡単な英単語を教わったり。
それはそれで楽しかったのですが、僕の中ではずっと不満が燻っていました。
こんなことで英語が喋れるようになるのか?

なので中学になったある日、両親に英会話をやめたいと行ったことがありました。その延長線上に英語が話せる未来が見えなかったからです。
涙ながらに訴えましたが、両親に僕の不満の本質は届いた感じがしませんでした。
おそらく、僕にしかわからなかったでしょう。

中学に上がると、その先生の大人のクラスに混ぜてもらったのですが、やってることはほとんど同じでした。
いい先生だったのですが、おそらく、ちゃんと英会話を教えようとすると、ほとんどの人は続かないのだと思います。なので、おもしろおかしく1時間が過ぎるように、先生なりに考えたのでしょう。
その先生は、僕が高校の頃、ハワイ大学に日本の古文の研究者として招かれて、日本を離れました。
どうして宮崎の片田舎にいたかはよく覚えていません。

学校の授業を受けていても、英語が話せる気はしませんでした。英語の勉強を続けても、今の自分の延長線上に、英語が話せる未来があるとは考えられませんでした。
英語は、外国に行って、そこで生活しなければ身につかないのだと思いました。
学校の成績は常に満点近くとっていましたが、英語が話せる気配はありませんでした。

例えば英語が喋れるようになる能力値が1000だとして、僕がその頃10くらいで、一年間頑張ってもせいぜい、1か2しか伸びないような、そんなもどかしさがありました。
同じ学年の誰よりも英語を勉強していたと思います。
ただどんなにテストの点が上がっても、英語が話せるようにはなりませんでした。
悔しかったです。
外国に生まれれば良かったと思いました。
まぁ外国に生まれたら日本語話せませんけど。

でも、ある日突然、能力値が100になりました。
え?と思いました。
英単語はどんなに覚えてもだめだと思っていたのに、ある一定のラインを超えると、急に能力が上がりました。
びっくりしました。
字幕の映画を見てもまったく聞き取れなかったのに、ある日を境に少しだけ聞き取れるようになりました。
英語の文章を読んでも、頭の中で和訳して読んでいたのに、ある日を境にそのまま英語で読めるようになりました。

僕は、人の能力は少しづつ線形に上がっていくわけではないということを知りました。
学校では誰も教えてくれなかったのですが、僕はその時学びました。
一見、努力の積み重ねは無意味に思えます。
一日一日の積み重ねの先に、なりたい自分がいないんじゃないかと不安になります。
でも、人間の能力の伸び方って階段型なんです。
子供を育てたらわかりますが、彼らは徐々に話し始めるわけではありません。
ある日突然話し始めます。

理屈はわかりませんが、人の能力の伸び方は階段型なのです。
これを知っているかどうかで、努力のひたむきさが変わります。
努力は決して裏切りません。
英会話もダイエットも技術検定も資格試験も。
今、君がしているその努力は、いつか絶対に花開きます。

出来なかったこと、はありません。
諦めたこと、があるだけです。
信じて、なりたい自分を勝ち取りましょう。

東京オフィスからは以上です。

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