シュレディンガーの猫と選択の無意味さ

こんにちは。
倉持建設工業、東京オフィスの山﨑です。

以前忘れもしない、「破天荒フェニックス」で有名なメガネ販売会社のオンデイズの田中社長が、こんなことを言っていました。たぶん。
#うろ覚え




「よく言われるのが、よくオンデイズという会社を買いましたよね、というのがあって、まるで、買うか買わないかと選択するギャンブルによく勝ちましたよね、と言う質問です」

これ、すごくよくわかって、「選択に意味はない」と田中社長は言ってました。
#たぶん

選択は選択でしかなく、合っているか間違っているかは、結果でしかありません。

例えば、最初の自動車は電気自動車だったとご存知ですか?
100年前には、電気自動車として発明された自動車は、内燃機関を持つ自動車として発展しました。しかし、100年後の今、再び電気自動車の時代だと言われています。
そんなこと、誰にわかります?


誰にもわからないんです。
昔はどの企業も5カ年とか、10カ年とかの成長戦略を立てて、事業をやっていましたが、そんなことは誰にも出来ません。
10年前にインスタグラムを予測できた人はいましたか?5年前にtiktokを予測できた人はいましたか?スティーブ・ジョブズはここまでのiPhoneの利用を予測していたでしょうか?ビル・ゲイツはWindowsの衰退を知りながらWindowsを開発していましたか?

誰にもわかりません。
明日何が起きるかすら僕らにはわかりません。
5年後?
10年後?
わかるはずがありません。

誰しも、長期の計画を立てて、必死でそれを守ろうとします。
でもそれはナンセンスです。
計画は状況に応じて変えなくてはなりません。
相手の打ち手を無視して将棋を指す人はいません。

刻一刻。
世界が変わるなら。
刻一刻。
僕らも変わらないといけません。

選択に意味はありません。
結局、自分が選んだその道を、意味あるものにするために、自分が何をしたのか?
シュレディンガーの猫のように、可能性はいつも、あなたが、自ら何をするかによって変わるのだと思います。

東京オフィスからは以上です。

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