シン・ドカタ 第一章 事務職 VS ドカタ① 貶められたドカタ




土方という言葉のイメージは恐ろしく悪い。

日本語俗語辞書では、次のように解説される。

土方とは道路工事や治水工事、建築における土木作業員のことである。ただし、土方は差別意識を伴って使われることが多く、土木作業員の中でも特に資格や技術を必要としない部署で働く人や日雇い労働者をイメージして使われることが多い。丸山明宏(現:美輪明宏)の代表曲『ヨイトマケの唄』の中に土方と歌われた部分があり、差別用語を使った曲として放送禁止に指定された一方、こうした差別用語としてわけることこそが差別ではないかという意見もある。

このように、放送協会で放送禁止用語になるくらいにはイメージが悪い。しかし、どうして土方が差別用語になってしまったのか?それは、現場作業員全体に対する差別的な目線が起源なのではないか?

人類の起源を考えてみよう。

まず、狩猟採集の時代があり、動物同然の生活をする中で、道具と火の使用法を得た。道具は武器として生存確率を大幅に上げ、縫い針として寒冷地に適応する能力を与え、航海術として生活圏の拡張を助けた。火は獣に怯えることのない夜をもたらし、冬に凍えることを防ぎ、煮炊きすることで食用となる食材を増やした。

やがて(ある地域の)人類は動物を家畜化し、農業を開発し、金属を加工し始めた。収穫物は貯蔵が可能になり、王や領主のようなものが現れ、争いを繰り返した。資源は常に有限だったからだ。

そのような一切の時代において、土木技術は大変重要なものだった。弘法大師(空海)の伝説を読んでほしい。彼は宗教家としてよりは、土木工事で多くの民草を救った。

土木技術は、人類を多くの意味で救ってきた。

治水技術が出来るまで、大雨は恵みでもあったが専ら災害だった。

用水路が整備されるまで、人々は水を巡って殺し合うことすらあった。

下水が整備されるまで、伝染病は都市にとって最大の脅威だった。

運河が出来るまで、人は大変な距離を陸上輸送しなくてはならなかった。

今日世界中に張り巡らされた道路網がなくては、どんな優秀な自動車であっても意味を持たないだろう。

土木技術はあらゆる技術の王だった。

高度な数学と化学が要求され、膨大な経験値と大胆な発想の転換が常に求められる。相手は自然である。強大な相手に対し、我々は技術を研ぎ澄まし、経験を蓄積し、いついかなるときも、勝利を上げてきた。

犠牲がなかったわけではない。

大きな犠牲が常にあっただろう。

それでも技術は進んできた。我々は、勝ち続けたのだ。


ああ、だがどうだろう。

今や土木技術者は貶められた。

ドカタと揶揄され、3Kなどと言われ、人の仕事とも思われない。それでも、この瞬間も、土木技術は人類を救っている。その偉大な仕事をするものに対して、しかしその評価はこれまで不当に低いものであったように思う。

今や我々は声をあげよう。

多くの同胞のために声をあげよう。


人はいつから外での仕事を厭うようになったのか?

仕事とは、人類史において非常に長い間、外での作業の事を指しただろう。

ただ、おそらくは産業革命の後、世界的に「中」と「外」の仕事が生まれた。

工業社会になると労働集約化と機械化によって膨大な事務仕事が生まれ、事務職が生まれた。

それでも、「外」の仕事をするものは尊敬されていた。彼らこそが実際に世界に生産性を齎していたのだから。

でも技術は進んだ。

進んでしまった。

やがて、「外」の仕事をするものより「中」の仕事をするものの数の方が多くなった。

外の仕事は「一部の」学歴や資本や才覚を持たない者でもできる「誰でもできる仕事」と見做されるようになった。


ホワイトカラーとブルーカラーと言う言葉が生まれ、誰しも我が子をホワイトカラーにしたがった。

でも事務職は際限なく増えた。第三次産業と呼ばれる彼らは、その数を伸ばし、業種も様々増えていく。

ホワイトカラーになるための条件は大学卒業だったので、大学もその数を爆発的に増やして陳腐化した。

でも、かつて自分もそこにいた者として思うのだ。満員電車に揺られ、陽が落ちても残業し、結局「誰でもできる仕事をしている」。事務職というその仕事は、本当に人類に適した仕事なのか?

社内政治に翻弄され、たかが数年前に会社に入っただけのものに頭を下げ、出世の為に家族を蔑ろにし、酒場で管を巻くその姿は、本当に人類史の果ての姿なのか?

そしてその事務仕事のほとんどは、AIやRPAの進化によって10年経たずに駆逐されるだろう。


人類に告ぐ。

あなたはその仕事をしていて、本当にいいのか?

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