シン・ドカタ 第一章 事務職 VS ドカタ② 事務職の時代の終焉


祗園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必滅の理をあらはす

おごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

『平家物語』


所詮この世は諸行無常。ある者の興隆はある者の没落を意味し、絶頂期はそう長くは続かない。それはおよそ100年続いた事務職の時代にも言える。

RPAという技術がある。ロボティク・プロセス・オートメーション。

データの入力業務を自動化するアルゴリズムだ。

これまで、世界では現場で動くロボットと、それを制御するシステムの間に、人間の介在が必要だった。人間は「人間にしか出来ない仕事」をしていた。

でもそれは本当にそうか?

果たして、現場から上がってくる生産状況をエクセルに打ち込んだり、需要に応じて現場の生産数量を制御したり、必要な資材を発注したりという業務は、本当に人間にしか出来ないのだろうか?

 答えはNOだ。

それを突きつけるのがRPAと言う技術である。

RPAはほとんどのホワイトワーカーの仕事を代替できると言われる。人間が最初の一回をやれば、RPAはそれを模倣して無限に仕事をやってくれるわけだが、これにAIがプラスされると、もはやシステムとプロセスの間に人間は不要になる。

プリンタのインクが切れたとき、それを忘れずに発注してくれるのが人間かアルゴリズムかをあなたは気にするだろうか?

製品の仕上がりのばらつきを検品したのが人間とアルゴリズムであった場合、あなたはどちらの確度が高いと思うだろうか?

明日の天気を予想したのが、ベテランの気象予報士が晴れと言い、これまでのすべての気象データを持つAIが雨と言った場合、あなたは家に傘を置いて外出するだろうか。


我々は既にあまりにもロボットによるオートメーションに慣れてしまっている。

Googleがあなたにピッタリの検索結果を表示することに違和感を感じない。

Amazonがあなたの好みをあなたをよりよく知っていて、あなたが知らないあなた好みの作者の新刊をリコメンドしてきてもいまやあなたは驚かない。

Facebookが数億のユーザーからあなたの知り合いを探してきても懐かしいという以上の感動はない。

ヤマト運輸があなたの住所宛の荷物を知って親切でLINEを送ってくるのがかなり便利だと思っている。


しかしそれらは事務職の仕事を奪い続けている。

Googleがなければ、テレビや雑誌をもっと見て情報を得なくてはならなかった。

Amazonがなければ、書店に足を運んで新刊をチェックする必要があった。

Facebookがなければ、もっと頻繁に誰かと連絡を取るしかなかった。

ヤマト運輸がLINEを送ってくれなかったら、配送センターに電話する必要があった。


このようなロボティクスの技術は、枚挙に暇がなく、この瞬間にもどんどん事務仕事を便利にしている。便利というのは考えもので、それは人から仕事を奪っていく。

アルゴリズムはコピーが容易だが、人の経験を人に写すのには時間がかかる。

アルゴリズムは間違うこともあるが、その修正は人間より容易だ。

今や、人がAIに命じられてUberEatsで食べ物を運んでいる。

それは今はまだ「人間に運ばせたほうがコストがやすい」だけで、いずれはロボットと入れ替わるだろう。

事務職の時代は終焉に向かっている。

多くの人がそれに気づいた時には手遅れだ。

そしてそのピークは人知れず過ぎている。


銀行が安泰だと言われたのはいつの時代だった?

証券マンが花形だったのは?

日本の電機メーカーの命運はいつ決した?

リーマン・ブラザースの破綻を予見していた人は存在したか?


同じように今、事務職の時代は終焉を迎える。

はっきりといつとは言えないが、それは桜の開花時期を予測するようなもので、ほとんど意味はない。春になれば桜は咲く。

同じように、事務職の冬は近い将来必ず訪れる。


RPAは地方自治体にも浸透しつつある。公務員すら安泰ではなくなる。

すべての事務職の仕事はロボットがやるようになる。

これは予言ではない。

確定した予定だ。

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