どこにでもいる、少し変わった子どもの話

こんにちは。
倉持建設工業、東京オフィスの山崎です。



皆さんは、自分が他人と違う、と思ったことがありますか?
僕は小さいころから、なんで自分は他人と同じではないんだろうと思って育ってきました。
色んなことが不思議で、いつも妄想ばかりしていて、人と同じペースで何かをすることが苦手でした。
幼稚園では一日中粘土で何かを作って過ごしていて、完全にアレな子供だと思われていました。

小学校では「宅習帳」というのがあり、僕はこれが嫌いでした。漢字の書き取りや算数の計算で、ノートを1ページ埋めてこないといけないのです。すっかり覚えてしまった漢字をどうして繰り返して書かないといけないのか?理屈さえ分かれば誰でも解ける算数の問題を、どうして何度も繰り返し解かないといけないのか?僕にはわかりませんでした。
小学校三年生の時、担任の先生が変わっていて、好きなことでも何でもいいから1ページ書いてきなさいと言いました。
僕は歓喜しました。
何でもいいなら書きたいことはたくさんあります。
その日から僕は、どうやって化石ができるのか、とか宇宙がどうやってできたのかとか、そういう大好きで興味のあるテーマで1ページを埋めるようになりました。
担任の先生は僕をすごく褒めてくれて、参観日の時に、優秀な宅習帳として並べてくれました。

僕の宅習帳の隣には、きれいな字で書き取りされた漢字や、算数の式がならんでいました。

僕は驚きました。僕以外の生徒は、何を書いてもいいと言われたのに、相変わらず漢字の書き取りや算数の計算を繰り返し書いていたのです。
やがて僕の宅習帳を見て、親たちがひそひそと騒ぎ始めました。異物を見るような目で僕の宅習帳を見て、親は誰だろうと言っていました。
まぁ、僕の母親のメンタルは幸い鋼で出来ていたので特に問題はありませんでしたが、僕はショックでした。
つまり、ほとんどの人間は、好きにしていいと言われても好きなことができないことにショックを受けたのです。

あれから数十年が経ち、僕も大人になりました。
この子はアレだと言われていましたが、高校は進学校に行き、大学は国立大学を出させてもらいました。
たまたま英語が得意だったので、1%しか英語が話せない日本という国では結構重宝されています。
妻を持ち、子宝に恵まれました。
長女は僕にそっくりで、好きなことを好きなだけやらせたら、鳥とか魚とかの名前を数百種覚えています。
完全にやりすぎです。
でも彼女は学校であまりうまくいっていないようです。
彼女が感じている生き辛さが、僕にはわかるつもりです。

こんなことを言うと語弊があるかもしれませんが、生き辛さを感じてる人たちに、普通の仕事は向いていません。
僕が建設業界にいるのは、他にできることがなかったからです。

正解を求められると、僕は嫌になります。
同じことの繰り返しはナンセンスです。
たくさんの人ができることに価値を感じません。

あなたも、そうじゃないですか?

もし少しでも心に響く何かがあったなら、是非うちの会社に遊びに来てください。

僕は幕末で誰が好き?と言われたら高杉晋作と答えます。僕は彼の辞世の句が好きです。

おもしろきこともなき世を面白く―

下の句もあるのですが、高杉はこの上の句を詠んで力尽きてしまいます。
世の中が面白くないんだったら、こっちが面白くしてやればいいんじゃないですか?
たった一回の命なんですから、賭けてみたっていいじゃないですか。

僕たちはいつも一緒に戦う仲間を求めています。

東京オフィスからは以上です。

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