食事の作法をちゃんとするべきこれだけの理由

こんにちは。
倉持建設工業、東京オフィスの山﨑です。




皆さんは食事の作法について、ちゃんと出来ているでしょうか?
僕もちゃんと習ったわけではないので、正式なところはわかりませんが、小さい頃、左手で食器を持たないとたいへん叱られたので、今でも食事の作法は良い方です。
倉持建設工業に入ってちょっと困ったのは、皆んなの食事の作法があまり良くないことです。これまでは、ちょっと、あんまりそういうことを言うのはどうかな、と思っていたので言いませんでしたが、一次が万事。
やはり作法というのがその人の人となりを作る気がしてきたので、これからは折に触れて、ちゃんと注意しますね。
#僕はスパルタです。
#ご飯が喉を通らないという事態にしてみせます。

さて、寄せ箸や舐り箸のような基本的な作法は言うまでもありませんが、食事というのは所作がやはり大事です。今の時代箸なんか使えなくてもいい、とか言う人は、僕より上手にフォークとナイフを使ってから言ってくださいね。
#僕はフォークとナイフでサンマの塩焼きを食べれます

何故今更作法が大事かと言えば、作法というのは要するに「人が嫌だと思うことはしない」という配慮の塊だからです。
僕はご飯粒をお茶碗に残す人が大嫌いですが、70代くらいの男性は結構平気でこれをやります。
僕は小さい頃、お米粒のひとつひとつに神様が宿っていると言われて育ったので、とてもそんなことはできないので、そういう人は結構激しく嫌悪します。
#外国人は別
#でも、外国人でも育ちのいい人は結構ちゃんと残さず食べてて偉い

作法や、身振り、振る舞いというのは、それを見る人が不快でないかということをとても意識しています。
自分が、オレは、人がどう言っても、と言う人は、社会では半人前と言われます。
もちろん、これまで言ってきたように、人と同じ事ができるだけの人は評価されません。
しかし今の時代、日本の伝統的な所作、作法をきちんと出来る人のほうがむしろ少ないでしょう。
人を不快にさせない立ち回りというのは、出来れば積極的に習得していきたいものです。

会食、というのを僕らはよくやります。
これは、食事という一番無防備な表情を見せ合うことで、信頼関係を醸成する機会であると僕は考えていますが、その時にちゃんとした所作ができないということは、却って相手の心象を悪くするのではないでしょうか。

僕は祖父母や両親のおかげで、そのあたりのことはきちんと教わっていると思います。しかし作法とか所作は生得的なものではなく、勉強すれば習得可能なものです。

和を以って貴しと為す、と言います。
ここで言う和とは、皆んなでいい感じにしょうぜということではありません。
お互いが尊敬しあえる関係でいようね、ということです。
尊敬できる人というのは、所謂、非の打ち所のない人、ということです。

お互いがお互いを尊敬しあえるように、それなりの所作を身につけていきたいものですね。

東京オフィス(寝起き)からは以上です。

※今回の話は礼儀正しければ万事OKと言う意味ではありません。
※礼儀正しくても駄目な人はいっぱいいます。
※しかし、作法がきちんとしていないと、それなりの人間と思われて損ですよ、という話です。

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