LearnとStudyの距離の遠さ

こんにちは。
倉持建設工業、東京オフィスの山崎です。


今日、Newspicksで落合陽一という変態の独演を聞いていたのですが、そこでふと思ったことがあります。
落合さんは「教科書に載っていることをやるのが勉強で、教科書に載るようなことをやるのが研究だ」と言っていたのですが、これはどちらも日本語ではおそらく「勉強」です。
英語では、LearnとStudyは違います。
日本の学校では、Learnは「学ぶ」、Studyは「勉強する」と教えます。
学ぶと勉強する、の違いなんて、分かります??

Learnはたぶん「教わる」と訳した方がいい気がします。落合さんの言った、教科書から学ぶ方ですね。
たとえば、I study it very hard とは言えますが、I lean it very hard とは言えません。こまかなニュアンスの違いですが、studyは自ら課題設定をしているのに対し、Learnはあくまでも受け身です。
僕は、Learnを「学ぶ」と教えることに日本の教育の問題があると思います。
スウェーデン語で教師とはLarareといいます。Laraが教える、という動詞で、Larareは教える人、という意味です。
本来Learnとは、師事する、と訳すべきです。それだと分かりにくいなら前述のように教わる、と。
なぜなら、それは教えた人の知識の限界が見えるからです。
十把ひとからげで「学ぶ=勉強する」のように教えているのが日本の教育だと思います。なぜなら、教育者にStudyは理解できません。Studyしたことがないわけですから。それはそれで職能として正当ですが、だからと言って、Studyの意味をLearnに寄せて考えてはダメだと思います。

僕は日本人とも欧米人とも働きますが、日本人はこの、「自分で課題設定をして必要なことを自ら学習する」というのが極端に苦手です。
とかく人に答えを求めがちで、既出の回答を待ちがちです。

でもそれでは、新しいことは何もできないことになります。
この世で最も楽しいのは、誰も知らないあの丘の向こうを見に行くことなのに、人の知っていることだけを教わって人生終わるのって、損ではないですか???

すべての人は、その人の人生の主役です。
どうか、誰かの知ってる何かを学ぶことに、日々を費やすことがないように祈ります。

東京オフィスからは以上です。

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